
🌹愛の物語
noteでも連載中
七海と蓮の物語

第1章:逆回りの時計
起承転結の「起」
誰にも言えない恋を抱えているのは、私だけだと思っていた――これは、 18歳で出会った私たちが、20年の時を経て、再び惹かれ合った「七年」の記録。
乾いたグラスが触れ合う音が、少し遠くで響いていた。
気晴らしになるかもと、週末の休みに、足を運んだ同窓会。
七海は、父親の仕事の都合で、高校の三年間を大阪で過ごしていた。
ほぼ20年ぶりの大阪だった。
「七海か?」
大阪弁特有のイントネーション。
聞き覚えがないのに、声の主の音色は確かに――顔を上げると、蓮(れん)が立っていた。
「え、ウソみたい。全然変わってないね、蓮!」
放課後の部室で、ギターを抱えて、Badd9(ビーアドナインス)の音色にこだわっていた彼。
受け取った名刺には、代表取締役という肩書きと、蓮らしい少し凝ったデザインのロゴ――音楽事務所みたいなそれだった。
「蓮、スゴイ! バリバリの経営者なんだね」
はしゃいで、グラスを持ち上げる七海に、蓮がはにかむ。
「形だけや。実際は、取引先に頭を下げて回る毎日やから」
確かに、腕に、高価なブランド時計をちらつかせるわけではない。
手入れの良さそうなスーツと目尻のしわには、信頼と責任、おちついた大人の風格が現れている。
若さと引き換えに、手に入れたようなものなのかもしれない――
二人はすでに、タイムマシーンの中。
「あれ、覚えてる?」が連発される。
「コード進行のことで、ケンカしたことあったよね?」
「お前がずっと、うなってただけやろ、なんか違うーって」
「そう! 蓮がギターで合わせてくれて、やっと納得できたんだよね。あの時の音、今でもたまに思い出すよ」
「あーあの響きな」蓮は宙をあおいだ。
「今思えば、あれが、俺らの正解やったんかな」
その一言が、あまりにも自然に、そしてまっすぐに落ちてきた。
その場のノリだった二次会を抜け出して、
七海と蓮は、駅前の、どこか寂れたジャズバーのカウンターに並んで座っていた。
「高志ってば……あたしのダンナね、ほとんどギャンブル依存。私のカードの枠まで使い切って……今度は何をし出すかって、気が気でないよ」
グラスの水滴を指でかき消しす七海は、
自分でも驚くほどあっさりと毒を吐き出していた。
他人に言えるような話ではない。
不幸自慢でもない。
高校時代の同士が、今でも気の置けない存在だった、それだけ。
いや、綺麗ごとを並べる気力自体が、おたがいの毎日に残されていなかったのかもしれない。
「うちも、うまくいってへん」と、蓮も明け透けだった。
「嫁さんと、今日もやりあったわ」
「だいじょうぶ?」
「うちの子、あんまり学校行きたがらへんねん。俺に似てるんやて」
「そっか……」
「家にいてもな……どこで息吸えばええんか、分からんときがあるわ」
「……大変なんだね、蓮」
「七海もだ……お前がそんな、泣きそうな顔で笑うな」
少し間があって、彼は続けた。
「……高校のときから、好きやった」
七海は視線を落としたまま。
ストローをいじりながら、小さく笑って言った。
「今さら?」
「俺、ずっと七海のこと見てたんや。お前、華あったからな」
「ホントに?」
蓮は、最後に頼んだコーヒーに、ほとんど手をつけなかった。
「送ってくわ」と言って、七海がうなずき、二人は連絡先を交換して駅で別れた。
思えば、あの告白が、確実に、時計の針を巻き戻していた。
18歳の残像を追いかけ、30代で再開して、
40代の現実を壊して駆け抜けた。
長くて短い、七年の始まりだった。
つづく(起承転結の「承」へ)

第2章:ライブの熱が溶かした境界線
起承転結の「承」
「来週、所用で東京。少し会えへん?」
再会から二か月。
軽いメールのやり取りを経て、
七海と蓮は、すでに二度の再会を果たしていた。
「高志が……」
「うちも……」
昔の同士の感覚で、家庭の事情を、自分ごとのように分かち合う。
灰色の日常に、時折差し込まれる色鮮やかなしおり――蓮という救済。
メッセージの後に、後追いのスタンプを欠かさない、ムードメイカー。
スマホの画面を見つめる時間が、七海の暮らしの主軸になっていった。
3度目のメールに、七海は少し迷った。
「復活ライブ、いっしょに行かれへん? 名古屋。中間地点や」
かつて日本中を熱狂させた平成のバンド。
もちろん行きたい。
が、泊りの誘いなのか――七海は画面を閉じかけて、また開いた。
蓮からの文面は短く、返事を急かしていない。
「日程、調整してみるね」とだけ七海は渡した。
「高志、ちょっといい?」
就寝前のベッドで、スマホをいじっている夫に、七海がドア口から話しかけた。
「来月、友だちと、泊まりでライブ聴きに行ってくる」
へえ、めずらしいじゃん――高志は、レースの予想サイトの画面にくぎ付けになったまま、ほろ酔い顔だ。
脱ぎ散らかされた靴下と、空になった発泡酒の缶を手に、七海は寝室を後にした。
夫には、ちゃんと伝えた。こちらは問題なし。
「チケット、よろしくね」と、七海はスマホを開けて入力した。
直後に、親指を立てるトラのスタンプ。
少し置いてから、追いかけるようにメッセージ。
「家のこと、無理したらあかんで。がんばりすぎるとこあるからな、お前は」
相変らずの「お前呼び」――それってどうよと思っていた七海が、やっぱり蓮は違うと認めた瞬間。
どう出てくるのか、彼次第だと。
*****
ライブ会場を、重低音が揺らした。
ステージの熱気と歓声の渦。
18歳の二人が、文化祭で、音楽番組でも、擦り切れるほど聴いた音源が再燃していた。
新しいデジタル音がその上に重なり、これからの未来を予感させるエピローグへ――
「……最っ高や!」
スポットライトに照らされた蓮の横顔。
音量に押し流されては、何度も、肩が触れ合い、
時折、二人の距離が必然的にゼロになった。
*****
会場を後にしながら、七海が蓮の顔をのぞきこんだ。
「終電……もうない……かな」
「うん、あ、いや、まだ、ある……どっちでもええよ」
蓮の声がかすかに震えて、七海もため息まじりになる。
「迷うよね……」
「迷ってええ。俺の隣は、いつでも空けといたるわ」
「ホントに、どっちでもいいの?」
「あー投げやりに聞こえたか。俺はいっしょに居たい。でも、無理せんで」
「自由にされた方が、逆に、足が、遠のく感じ」
「あるある、やな。ほんまはいっしょにいたいのに、相手を縛りたくなくて、そう言うてまうやつや」
へへっと笑う蓮が、すがすがしく続けた。
「お前が帰るんやったら、俺は引き留めへん」
「ホントは、いっしょにいたいのに?」
「それも、愛のひとつのカタチや」
「……まどろっこしい」
「……せやな」
「帰らせないように、仕向ければいいと思う」
「わかった」と、反射的に蓮が七海を強く引き寄せ、有無を言わさず方向転換した。
「ほな、もう迷わせへん。行こか」
「……っ!」
七海が、女子高生みたいに跳ね上がる。
蓮のジャケットに両手でしがみつくと、歩幅を彼に合わせた。
きらめく夜景を見下ろす、少し不相応かもしれない、ホテルの高層階。
宝石箱のような窓の向こうを見守る二人。
重なり合う唇。
ほどけていく服の合わせ目。
「……七海」
「ん……」
「……好きや」
耳元でささやかれた蓮の熱い吐息に、身体の芯から溶けていくような感覚に、七海は重力を忘れた。
こんなの、はじめてだ――
朝の光が窓の外に薄く差し込む中、
二人は並んでホテルを後にした。
駅へと向かう帰り道、蓮がそっと差し出した、大きくて、温かな手。
七海はためらうことなく、自分の指をからめる。
「2人の本当は、誰も知らない」
そう、これは、二人の運命。
私たちは、出会うために生まれたんだ。
全部。今日までの空白も、灰色の日常も。
すべては、用意された伏線――二人の愛のために。
七海のスマホが震え、「高志」の文字が光った。
蓮の指が、七海の手を、もう一度強く握った。
つづく

第3章:海の見える家、二人の選択
起承転結の「転」
💧辛いから別れる。でも、別れるのはもっと辛かった
大阪の小規模経営者・蓮と、東京で不規則なシフトに追われる七海。
家庭を持つ二人が落ち合えるのは、3か月に1回程度だった。
お互いの家庭の闇を共有し、傷をなめ合う恋――だからこそ、七海はこれを「運命」だと思いたがった。
「会う」ことそのものが目的化している二人は、日常を共有しない分、会っている時間が濃密に、深く心に染み入る。
「うちの高志がね」と七海が話し、
「沙織と悠馬がさ」と蓮が返す。
食事をし、旅行の真似事をする。
「また連絡する」と必ず言う蓮。
別れた直後に、七海のスマホにトラネコのスタンプが届く。
マイナーなチャットアプリを開くその瞬間が、最初の1年の至福であり、また、同時に苦しい時間でもあった。
親子連れとすれ違うとき、必ず目を伏せる蓮。
行き先も会話も限られ、二人の間にすき間風が吹き出すのは、時間の問題。
だが、蓮からのメールは止まらなかった。
「……今日も、ええ天気や。七海は、どうしてる?」
ある日、七海は意を決してそれを無視した。
一か月後。
「七海、だいじょうぶか? 気晴らしにライブでも行かへん?」
これもスルー。
さらに一か月後。
「……迷惑だったら、ごめん。もう送らんようにするわ」
来なくなるかもしれない不安に駆られ、七海は指を動かした。
「……平日、仕事のあと、少しなら」
深夜のファミレス。
冷めかけたコーヒーが二つ、湯気を立てずに並んでいる。
「蓮はただ、寂しいだけ。誰でもいいんだと思う」
「……七海やから、話せるんや。他の誰かやったら、こんなふうにはならへん」
「同窓会で『高校の時から好きだった』なんて、その場のノリに決まってるでしょ」
「……『男の一番は、永遠に初恋の人』なんやて」
ギターを抱えて、少女趣味的な詩を書いていた蓮だ。
彼らしい言い草に、七海はため息をついた。
「こんなことしてたって、私たちに先はないんだから」
「せやろか」蓮は真顔になった。「七海は、高志さんと別れたい思うことはないの?」
(……ここでその話?)
「俺は……沙織と悠馬の世界に入れへん自分を見てると、もうええんちゃうかと思う。でも、悠馬の顔を見るとな……。七海も、高志さんの寝顔見とるんやろな」
(……なんなのよ、それ)
「ごめん、七海を苦しめてた。もう、メールはせえへん」
笑顔を作って立ち上がる蓮に、七海は主婦の目線でツッコんだ。
「コーヒー、ぜんぜん手つかずじゃない」
「もともと、あんまり好きやないねん……七海の隣で目覚められたら、少しは美味しくなるんやろな」
下りの電車に乗る七海と見送る蓮。
力なく、二人はホームのベンチに並んで座った。
蓮が伸ばしてきた手の指先を、七海がそっと包み込む。
指先が冷たいのに、温かいものが込み上げてくる。
「七海、無理すな。なんかあったら、いつでも……何もできへんけど、吐き出したいときは、いつでもおるからな」
吐き出していい――それができるなら、もう十分なんじゃないの?
電車が見えると、二人の指が、たがいの指の隙間に滑り込んだ。
ドアが開いても、七海が蓮の指を離せないでいた。
「行かへんの?」
「まだ、いい」
引き留めるためではなく、ただ繋いでおきたいだけの強さだった。
次の電車が見えても、二人は動けなかった。
「……乗らへんのか」
「……まだ……だいじょうぶ」
電車のドアが閉まり、また動き出した。
冷たい夜風にあらがうように、二人は終電を見送ってしまった。
💰不倫と援助と依存と
3か月で禁断症状が出る関係が、3年目に突入。
蓮のメールが変わっていった。
「本気で動く。半年か、1年か、待ってくれるか?」
「沙織と話し合って、悠馬のこと決めて、手続きもする」
「俺もう、疲れたわ……」
ある日の蓮は「悠馬に手を弾かれた」と涙ぐむ。
「沙織は、まるで俺を汚いもん見るような目するばっかりや……俺が一体何したっちゅうねん」。
息子の悠馬を私物化し、蓮を家庭の枠の外へ追いやるという沙織の心理は、もちろん計り知れない――ケアが必要なのかもしれない。
だけど、このままでは、蓮がつぶれる。
そして、私も――私だってもう限界。どこでどうやって息をすればいいの?
半年も1年も、あっという間に過ぎていった。
「出会いがもっと早ければって歌、あったやん。なんで、今なんやろ」
「これで最後」と決めても、朝になるときつく抱きしめ合うことの繰り返し。
「……痛いよ、蓮」
「ごめん」
4年目の年の瀬。七海のほうから緊急メールが行った。
「私、もう待てない。兄嫁から電話があったの」
蓮が、深夜のファミレスに着いたとき、七海の涙は枯れ果てていた。
くずれたメイクもそのままに、冷え切ったコーヒーを前に、放心している。
「高志が、私の貯金、全部使った。
彼のお兄さんにも、借金してた。
電話が来て、初めて知った」
どれも、蓮にはどうすることもできない。
「ごめん……」
「ねえ、蓮。お金貸して」――これで、二人は終わりだろう。
二人の関係が「援助」と「依存」に変わらないように、蓮のほうがむしろ細やかに気遣ってきたことだ。
「次に会うのは、静岡で、どうやろ?」
ほとんどとっさに、蓮が言い出していた。
🏠「海の見える家計画」始動
彼の真意を確かめたくて、占いブースを放浪しだした七海。
「ずるい男だよね」
「しつこい霧のような因縁」
「『これなしでは生きられない』依存心そのもの、です」
薄暗い照明。
使い古されたことば。
だけど誰も当てられなかったじゃない――私たちが、静岡に物件を探しに行くなんてこと。
蓮からメールで渡された、「海の見える家計画」ファイルを七海は何度も読み返していた。
3か月後、なんとか日程調整できた蓮と七海。
約束をすっぽかしたのは、七海だった。
早朝の待ち合わせ時間から、2時間――蓮は腰を上げた。
用意してきた封筒は、コートの内ポケットで重かった。
不動産屋に「この日に合わせたい」と無理を言って、現金をそろて、沙織には「出張」とだけ伝えて、大阪を出てきたというのに。
夜勤明けの病院の裏口で、七海は仰天した。
「蓮、こんなところにまで来ないでよ……」
「少しは心配しよったけど……やっぱり、お前、最初から来るつもりなかったん? 最低やな、とんだビッチや」
「だって、そんなの……無理に決まってる。蓮が、一番よくわかってるはず」
「あっそーですか。勝手に夢見て、ひとりで突っ走った俺が、アホやったん、全部悪かったんや……」
怒りを爆発させる蓮に、七海は疲れ切った顔を見せつけて言った。
「蓮、もう、いいでしょ? 早く帰って寝たいんだけど」
「……勝手にせいや」
立ち去り際に、七海に封筒を押し付ける蓮。
大阪行きの新幹線の中で、蓮は七海のスマホを光らせていた。
「ほんまに、だいじょうぶなん?」
七海は即レス。
「お金、ありがとうございます。返さないね」
ついでに、ペコリと耳を下げるウサギのスタンプを後追いさせた。
**********
「これで、俺から嫌われるって、ホンマに思てたんか?」
蓮からのメールは、一度だけでは終わらなかった。
「まどろっこしいことはすな」
「七海、……お前は一体、誰といっしょにおりたいんや?」
着信のたびに、あふれる涙が止まらなくなる。
画面もキーもにじむ中、七海は打ち込んだ。
「占いのはしごして、電話占いにも相当お金使ったの、それも返して」
蓮「わかった、返す」
七海「この1年で、100万越えですけど」
蓮「全額返すさかい、もう占いはすな。俺に聞いてこい。ええな?」
嗚咽と共に、かすむ視界の向こうで、スマホがバッグに押し込められた。
翌日の昼下がり。
蓮から核心的なメッセージ。
「さっき、沙織に、離婚の話を切り出した。」
深夜、一人になれる時間を待って、七海はチャットを送った。
七海:「沙織さんは何て?」(午前1時08分)
蓮:何を言っているのか分からないって逆上された。
俺はもう、息ができへんて、
沙織と悠馬の家ではって、謝った。
俺がこだわるのは、七海がそこでちゃんと息できてるんかってこと。
酸素があるなら、そこにいたらええ。
俺は、来週、荷物をまとめて、海の見える家に行く。
七海が来たいなら、来ればいい。
もうおたがい、まどろっこしいのはなしや。
(午前1時11分)
つづく「起承転結」の「結」へ

第4章:海の見える家、二人の選択
起承転結の「決」(最終回)
🏠物件購入計画進行中
「こちらです」
不動産屋の軽自動車が止まったのは、二階建ての小さな一軒家の前。
一階のリビングに入ると、すでに大きな窓の向こうに海が見えた。
「二階からの眺めは格別です……奥様、どうぞ」と、業者の男性が、七海を二階の階段へとうながし、その後に蓮が続いた。
「わぁ……っ」 七海は思わず声を漏らした。
目の前に飛び込んできたのは、さえぎるもののない大パノラマの海。
銀灰色に輝く水面がどこまでも続く。
大きな観音開きの窓。
さわやかな潮の香りがシャワーのように降り注いでは、鼻腔をくすぐる。
「んんー……」瞳を伏せ、これでもかという勢いで、七海も蓮も、潮風を吸い込んだ。
「……最っ高やな」
ふいに業者の携帯が鳴り、彼が階下に降りていくと、蓮の両手が、七海の腰に回り、七海が彼の胸にもたれかかった。
「ここの間取り、少し改造したら『海の見えるカフェ』にしても、ええんちゃう?」
「えっ」
「将来の夢、『七海のセブン・カフェやりたい!」言うてたの、俺覚えとるで」
「蓮てば……」
そんな、高校時代のワンシーンまで覚えていたんだ……
七海が蓮の首筋に両腕を回しかけたところで、階下から業者の気配がして、二人は身体を離した。
********
午前と午後で、2件ずつ内覧をこなし、その日二人は、駅近のビジネスホテルに泊まることにした。
いずれにしても、物件の購入は、今すぐは無理――けじめがある。
二人それぞれの配偶者とのことが先で、住居のことはその次。
内覧の振り返り話に、花を咲かせることはできなかった。
夜、七海はベッドの縁に腰かけて、ため息をついた。
「昼間、不動産屋さんから『奥様』って言われちゃった」
「そう伝えとった。七海が、ホンマの俺の『奥様』やから」
「……複雑」と、口をキュッと結んで見せる七海。
隣に腰を下ろし、彼女髪をすきながら、蓮のほうは終始、ほがらかだった。
「だいじょぶや、あと少し……俺は沙織とけじめつけるさかい、七海も高志さんと……な、そんな顔すな」
蓮は、七海の肩を抱き寄せ、ほほに優しく口づけた。
二人が重なり、吐息と、時折漏れる声だけが無機質な部屋を満たしていく――
五年も会っているとは言え、いつも身体を重ねていたわけではない。
とりわけ、今日の七海は、蓮の動きに戸惑った。
額から始めて、まぶた、ほほ、耳、首の横、肩から鎖骨へ――深く、長く、蓮の唇が、下腹部から足先にまで、移動していったのは初めてだった。
「蓮……?」
「……七海が、好きや」
掌で腰を少し引き寄せて、胸を密着させる蓮。
やはり、彼も、これからのことに不安があるのかもしれない――
背中に爪を立てて彼にこたえながらも、どこか必死な彼を、七海は感じていた。
翌朝。
7時少し前に、蓮のスマホが鳴った。
「……わかった。すぐ帰る」
ほとんど、相づちばかりしていた蓮だったが、電話を切るなり、昨夜脱ぎ捨てた服を拾い、身づくろいを始めた。
「悠馬が……ちょっと。沙織がケガしてな」
「え……」
「……ごめん」
「いいよ」
七海は、起き抜けのたどたどしい手つきで、蓮のネクタイを手伝った。
「また、連絡するわ」と、蓮が七海の額にキスを落とすことは忘れなかったことが、救いだった。
あっという間にドアが閉まる音がして、脳が覚醒した。
急に不安に襲われる自分を、七海は抱きしめていた。
********
それから一か月。
蓮からの連絡がパタリと途絶え、七海は占いのハシゴをしていた。
以前、「占いに通い詰めて100万以上使った」と言ったのは蓮への当てつけだった。
実際、彼女はそこまで散財してはいなかった。
ただ、七海にとって、占いは、確かな拠り所だった。
タロットでも、水晶でも、中国占術でも、七海が伝えてはいない、蓮の性格や子どもの存在が言い当てられるのが不思議だった。
客が誰かの愚痴や不満を言ったり、毒を吐くのもありなのが、彼女のツボだった。
その日も彼女は、時間いっぱい、幼い頃の身の上話や、職場の同僚の不平不満をとつとつと語っていた。
時どきうなずき、相づちを打っていた占い師が、そろそろ時間だと言って、単刀直入に切り出していた。
「で、七海さんは、どうしたいのかしら?」
しばらく考え、七海はことばをつむいだ。
「私は、ただ、幸せになりたいだけよ……彼も、それぞれの家族も、みんなが笑顔になれる、そんな方法、何かないの?」
「ナウシズ」
占い師は、そう言って、古代文字が刻まれたような石を転がした。
「ゆっくりだけど、向かっている。このまま、前進して……そして、無理はしないこと」
「無理すな」――蓮のことばが、七海の心にこだました。
その夜、就寝前の七海のスマホが鳴った。
非通知……蓮かもしれない。七海はとっさに電話に出た。
「……はい?」
返事はないが、人の気配はある。
「蓮なの?」と七海はスマホを耳に押し当てて、呼びかけていた。
数秒の沈黙の後、電話が切れた。
(まさか……沙織さん?)
七海の背筋が凍り付いた。
🎰七海、高志の問題へ
一方で、七海は、高志とのことを、まだ何も清算できていなかった。
奇しくも、高志が彼の実兄に、金の無心をしたことがきっかけで、
その年の暮れも差し迫った頃には、兄夫婦が介入。
年明けには、親族会議が開かれた。
借金の返済、依存症の回復プログラム……高志をめぐる環境は一転し、七海自身も救われていった。
思えば、高志は、「ギャンブルさえやめてくれたら」それでよかった。
がしかし、そのままの高志では、もう生活が持たなかった。
そこに現れたのが、蓮――救世主のような彼だった。
今年でもう、6年目になる。
「無理すな」と言う声も、ホテルで彼女の髪をすく温かな手も。
今となっては七海の心と身体に、なくてはならない存在として刻まれてしまっている。
蓮の体温を思い出すと、チャットアプリを開かずにいられなかった。
「無言電話、沙織さんかも」打ちかけて、消した。
「電話で話したい」それも消した。
結局、七海は短い一文だけを送った。「元気にしてる?」
連絡がないまま、三か月が経過した。
初春の肌寒さの中、七海の禁断症状がピークに達した頃。
夕刻近くに、蓮からメッセージが入った。
「七海、だいじょぶか、息できてるか? 手紙読んどるな? 今、池袋におる。夜には帰らな。出てこれへんか?」
(……蓮!)
七海はスマホを握りしめ、画面にほおずりさえしていた。
会いたい! 話したい……触れたいよ……
でも、七海は、容易に返信しないと決めていた。
少し前に、蓮から届いた、一通の封書。
書かれていたのは、沙織さんから、やり直しを迫られていること。
悠馬の父親として、変わって欲しいと懇願されていること。
「不倫の証拠」を集められているかもしれないこと。
七海にはなすすべもなかった。
メールではらちが明かず、出張の合間にでも連絡してきたのだろう。
(会いたいよ、蓮……)涙が止まらなかった。
今日は彼のほうが、息ができていないみたいで、それが何より苦しかった。
蓮から連打。
「池袋の西改札で」
「了解」とだけ返信した。
ちょうどその日、高志は、音楽の仕事がない日の、タクシー乗務で、出勤が夕方から。
それを待って、七海は身支度を整え、池袋へ向かおうとした。
終電まで、数時間なら話ができるだろう――しかし、自宅の固定電話が鳴って、番狂わせが生じた――高志が交差点で、車両同士の対物事故に巻き込まれたのだ。
命に別状はないが、緊急搬送されているという。
どうしてこのタイミングで――七海は受話器を持ったまま、しばらく動けず、わが身を呪った。
スマホを取り出し、「今日は無理。高志が……」と入力したところで、手が止まった。
七海の脳裏に、占いのことばがよぎった。
「このまま、前進して……そして、無理はしないこと」
少しの空白の中で、七海の指が変化し、一行だけを送ることにした。
「ごめんなさい。蓮も、無理しないで」
人が振り返ろうが、涙をこらえるなどというゆとりはなかった。
ぐちゃぐちゃの顔で、七海は高志が搬送された病院へと、バスと地下鉄を乗り継いだ。
🌇私たちは、青春だった
半年が過ぎた。
猛暑の頃には、高志のリハビリ一色になり、七海はそれだけに集中できた。
生活のために、夜勤をこなしながら、夫婦の空気が少しずつ変わっていくのを感じていた。
蓮からの連絡はなかった。
秋風に触れると、去年のあの「海の見える家」が、七海の中で回想された。
最初の静岡行きをすっぽかしたあの日、わざわざ病院の裏口まで来て、毒を吐いて、息を切らせていた蓮のこと。
「ホンマは」「誰といっしょに居たいん?」
本音をことばにしやすい彼の、明け透けだけど、はにかんだ笑顔。
「だいじょぶか?」「ごめん」「会えへんか?」
自分に向けられていた、温かなことばと指先。
無理に、忘れようとして、忘れられるものではない。
でも私は、高志との新しい生活に、大きく舵を切り出したんだ。
七海が、チャットを開いて、文字を打ち込んだ。
「最後に、会いたい」
大阪、蓮の自宅。
リビングのソファで、スマホに気づき――画面に視線を落とす蓮。
「お父さん」と悠馬が、プリントを片手に入ってきた。
「数学の宿題、助けてよー」
蓮は、スマホをポケットに入れた。
悠馬の髪をくしゃっとしながら隣に座らせて、プリントをのぞきこむ。
「お、一次関数か……なんや、最初の足し算ができてへん」
「あ、ほんとだ」
「ここ間違えたら、ずっと引きずってまうで」
蓮からの返信は、既読がついた後、さらに三日経った後だった。
「来週の水曜日、打ち合わせの後、少しなら」
よけいなことばも、スタンプもない。
七海のチャットは、それきり閉じられた。
******
港が見える丘の桟橋。
街の明かりが、夕やみに、にじみ始める頃。
蓮と、七海がきっちり、同時刻に現れた。
一度、しっかり瞳を合わせて、正面まで近づいた二人。
あとはもう、二人とも海と向き合った。視線を外したままだった。
「蓮……」
「……ん」
「ちゃんと、息できてる?」
「……窒息は、してへん。息継ぎが、うまくなったんやな」
「よかった。私も、無理、しないようにしてる」
「……よかった」
「ここの海、悲しい色してるね」
「にじんでるからや……七海、泣いたらアカン」
「蓮だって、泣いてるじゃない」七海はしゃくりあげる。
「ええやろ……乾いたら、帰るさかい。お前から、はよ、行け」
「今日で、二人は、終わり」
「おう」
「七海……」
「なに?」
「好きやーーーて、叫んでええ?」
「やめなってもう」
笑い泣きしながら、七海が、蓮の腕に振れた。
その手に、蓮の手が重ねられて、すぐに離れた。
涙と鼻水を拭いもせず、二人は一瞬、笑顔を交わした。
七海が先に一歩下がると、海に向かって叫んでいた。
「あなたは、私の、青春、だったよーーー!」
桟橋に動いていた、まばらな人影が少し振り返った。
恋人たちが、ふざけている光景。
そう見えていたかもしれない。
蓮は海を見つめたまま、軽く手を振り、もう、彼女を見送らなかった。
これで、二人とも背を向け合える。
駅までの道で、7年が終わるのを感じる。
関係の定義は、しない。する必要もない。
Fin

🎼Ending
1. 作家情報(クリエイター)
この曲は、日本のポップス・歌謡曲史に名を残す名コンビによって手掛けられました。
-
作詞:康珍化(かん ちんふぁ)
-
数々のヒット曲を手掛けた作詞家。「関西方言(大阪弁)」を用い、かつ「女性の視点・言葉遣い」で歌詞を構築するという斬新な手法を取り入れました。
-
-
作曲:林哲司(はやし てつじ)
-
都会的で洗練されたメロディーメーカーとして知られる作曲家。当初はスマートな英語詞が似合う都会的なポップス・AORをイメージして曲を書きましたが、あがってきた関西弁・女性言葉の歌詞を見たときは「こんな演歌みたいな曲、売れるわけがない」と驚いたという逸話が残っています。
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2. チャート・売上情報
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リリース: 1982年10月
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オリコンチャート最高位: 5位
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ザ・ベストテン最高位: 6位
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売上枚数: 約34.8万枚(参考・累計)
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ヒットの傾向: 発売当初から一気に爆発したわけではなく、有線放送からジワジワと火がつき、じっくりとロングヒットを記録して翌1983年の夏にかけて大ブレイクを果たしました。
3. 作品の背景と制作エピソード
① 歌謡曲への挑戦と葛藤
当時、本格的なR&B・ソウルシンガーとして活動していた上田正樹さんは、1981年にCBS・ソニーへ移籍したものの、なかなか大きな売上につながっていませんでした。その中で「歌謡曲の世界にも一度入ってみよう。外から批判するだけで終わらず、自分で試して体に馴染まなければやめればよい」という思いから歌謡曲アプローチを模索し、その行き詰まりかけた時期に出会ったのがこの曲でした。もっとも、当時は自分の音楽性とヒットした現実とのギャップに戸惑うこともあり、本人は「売れたときは逆に落ち込んだ」と後に語るなど、複雑な思いも抱えていました。しかし、その後の長いキャリアやライブ演奏を重ねるうちに、この曲を「自分自身のR&B」として完全に昇華させていくことになります。
② 大阪のリアルな実体験が投影された世界観
作詞の康珍化さんと上田正樹さんが二人で練り上げた歌詞には、上田さん自身が19代の頃に家出し、大阪の西成やミナミなどで過ごした若き日の実体験や空気感が色濃く反映されています。
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歌い出しの「にじむ街の灯」は、もともと具体的な「尼崎の灯」だったり、本人の実感としては「天保山から見える灯」がベースにあったりと、港町の哀愁や夜の大阪の情景がリアルに落とし込まれています。
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「関西弁の女性目線」という一見異色の組み合わせが、かえって都会の切なさや男女の機微を劇的に際立たせ、日本の音楽史に残る名バラードとなりました。
🌹愛の物語
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