すべてが計算されたMusicVideo
彼女は違うというレコード会社のホンキ
マドンナのLike a Virgin のPV、ヴェネツィア・ロケ、 本物のライオン登場、やっぱりマドンナは売り出し時期から超目玉スター扱い! 「本気でスターに育てる」というレコード会社ワーナー(Warner Music) の意志表明みたいなPVだったことは事実でした。
1983年のデビューアルバム時点では、まだ「クラブシーンから出てきた有望な新人」レベル。「Holiday」「Borderline」「Lucky Star」で徐々にチャートを伸ばし、MTVでも存在感を出し始めていた段階ですが、「Like a Virgin」では、すでにワーナー側が「この女は違う」と判断して投資を厚くしていたことは確実であると言われています。
1984年7月頃にヴェネツィアとニューヨークで撮影されたこのPVは、監督がメアリー・ランバート(「Borderline」に続いての再タッグ)。ワーナー・ブラザースのクリエイティブディレクター、ジェフ・アエロフが後に「今まで作ったどのビデオよりも遥かに金をかけた」と振り返る程。予算は約15万〜17万5千ドル。当時のミュージックビデオとしてはかなり高額です。
単なる「海外ロケ」ではなく、ナディアが@@ となった以下3点
「映える」要素を惜しみなく投入
- 本物のゴンドラでの撮影(橋の下をくぐるタイミングを計算しながら踊るシーン)
- 特撮ではないリアルなライオン(名前はCharlie)を起用
- ヴェネツィアの宮殿的な建物(Ca' Zenobio degli Armeniなど)を使ったセット
特にライオンは訓練された映画用ではなく、サーカスの一座から連れてきたライオンだったため、撮影中にマドンナの股間に頭を突っ込んでくるハプニングもあり、トレーナーがライフルを構えて待機していたという逸話が残っています。
マドンナ本人も「食い殺されるかと思った」と語っています。
象徴的に各シンボルを解説してまいりましょう。
🌉ヴェネツィア~NYロケ
マドンナのイタリア系ルーツを意識しつつ、歴史的に「浪漫の街」と「性に対する厳しい規制があった街」という両義性を持たせている。ゴンドラのシーンは「知的で性的に目覚めている現代の女」側を象徴。
.ゴンドラとは? 本来の「ゴンドラ」は、イタリアの水上都市ヴェネツィアで使われてきた伝統的な手漕ぎボートのことです。
特徴: 細長く、船体が左右非対称に作られており、ゴンドリエーレ(船頭)が1本のオールで巧みに操縦します。
色: かつて贅沢を制限する法律(贅沢禁止令)が出された名残で、漆黒(黒色)に統一されています。
理由は、象徴性・演出・ロケ・動物・衣装・構造のすべてが 異常なほど作り込まれているから。**
普通の80年代ポップPVとはまったく別次元の作り込みなんだ。
🦁 1. 本物のライオンを使う時点で異例中の異例
1984年当時、
CGなし
合成は粗い
特撮は限界
動物の安全基準も今ほど厳しくない
そんな時代に、 本物のライオンをヴェネツィアの街中で撮影するというのは 完全に"映画レベルの演出"。
普通のアーティストでは絶対に許されない規模。
これは マドンナ=しし座太陽(ライオン) という象徴性を視覚化するための演出でもある。
80年代のポップPVはスタジオ安いセットダンス中心 が普通。
しかし Like a Virgin は 世界遺産のヴェネツィアでロケ。
ゴンドラ
サン・マルコ広場
歴史的建造物
水の都の象徴性
これらを背景にすることで、 "純粋さの再誕生"というテーマが神話的レベルに引き上げられている。
👰🏻ウェディングドレス
「処女性」「神秘」の象徴である白いドレスにベール。
伝統的な純潔の象徴を、わざとエロティックに崩して使う。処女/娼婦の二項対立を意図的に刺激するビジュアル。
「そもそも『処女のように』というタイトルから、どちらかと言えば疑似的な、ともすれば遊びの恋がテーマなのか?とすら思わせる構成がにくい。
🦁本物のライオンとライオンマスクの男
ヴェネツィアの守護聖人である聖マルコの象徴がライオンであることと重ねている。
同時に「獣のような欲望」「野獣と処女の物語」という神話的・性的な層も重ねている。
マスクを被った男が最終的に彼女を抱き上げるシーンは、欲望が具現化する瞬間として機能。
👦🏻ベルトのバックルのBoy Toy=男性のおもちゃ
初期マドンナのシグネチャーアクセサリー。性的な対象であることを自ら「玩具」と名乗るアイロニーであり、同時に「わかってやっている」「自分でコントロールしている」という主体性の主張。
ランバート監督は「現代の世慣れた女と、過去の自分としての処女を両方見せたかった」と説明しており、マドンナ自身もその意図を積極的に受け入れていました。
そしてこのPVと、その少し前の1984年9月の第1回MTV Video Music Awardsでのパフォーマンス(巨大ウェディングケーキの上から登場し、床を這いずり回るあのシーン)が決定打になって、一気に「グローバルなスーパースター」の座に押し上げられた。
マドンナが世界王者と化した流れなのです。
デビューから2年弱で「ここまで投資する価値がある」と確信され、その投資が大成功したという感じです。結果として、彼女は「最初からスターだったように見える」ほどの急上昇を遂げた、というのが実情に近いです。
このPVは、ビジュアルの強さとコンセプトの緻密さで、マドンナが「ただのセクシーなシンガー」ではなく「イメージを操るアーティスト」であることを強く印象づけた作品でもあります。
MV×しし座のマドンナ
しし座(Leo)との関係は「意図的に狙った主要モチーフ」というより、偶然の一致+後付けの解釈+本人の共感が重なったものです。
公式の制作意図(当時の説明)
監督のメアリー・ランバートは、ヴェネツィアのカーニバル(仮面を被る文化)から「恋人役の男にライオンのマスクを被せよう」というアイデアを思いつき、そこから「本物のライオンも入れよう」と発展させた、と語っています。
つまりメインのロジックは:
- ヴェネツィアの守護聖人・聖マルコの象徴がライオンであること
- カーニバルの仮面文化(「見た目通りではない」というテーマ)
- 「処女」と「獣のような欲望」の対比
この3つが中心です。聖マルコのライオンは確かに歴史的事実として正しいのですが、一般視聴者からすると「かなり回りくどい」と感じるのも無理はありません。ヴェネツィアに詳しくない人には、ほぼ伝わらない層の象徴です。
しし座との関係
マドンナは1958年8月16日生まれで、太陽星座は明確にしし座(Leo)です。
ただし、1984年の制作時点で「自分がしし座だからライオンを入れよう」と積極的に主張したという記録は見つかりません。むしろ、撮影中にライオンが股間に頭を突っ込んでくるハプニングが起きた後に、本人がこう語っています:
「でも私はライオンにすごく共感できた。前世ではライオンか猫か何かだった気がする」
この発言は、制作意図というより、実際にライオンと向き合った後の個人的な感想です。しし座らしい「自分をライオンと重ねる」感覚が、ここで表に出た形になります。
後付けの解釈の強さ
後年のマドンナに関する記事やファン分析では「しし座のマドンナにライオンを当てはめるのは自然すぎる」という読みがかなり定着しているそうです。
特に「The Lions of "Like A Virgin"」といった歌詞では、「しし座の三重奏」のように解釈しています。歌詞の「I made it through the wilderness(荒野を抜けてきた)」も、しし座的な「猛々しさ」と結びつける読み方がされています。
- 本物のライオン
- ライオンマスクの男
- マドンナ自身
これは「当時の制作陣がそこまで計算していた」わけではないのに、結果として、マドンナのキャラクターとビジュアルが後からしし座のイメージに完璧にハマった、というパターンに近く、これがいわゆるナディア目線で言う自然の黄金律現象。
要素優先度・意図の強さヴェネツィア+聖マルコのライオン制作時の明確な意図(ただし一般には回りくどい)処女/獣の対比非常に強い(メインコンセプト)しし座との関連制作時の主目的ではないが、本人の共感+後付け解釈で強く意識されるようになった
つまり、「聖マルコのライオン」は確かに少しアカデミックで回りくどい選択ですが、「しし座だから」が主因だったわけでもありません。結果的に、マドンナの星座とビジュアルがきれいに重なってしまった、というのが一番正確なところです。
マドンナが語る彼女の前世
マドンナが語った「前世」に関する発言は、大きく分けて印象的・感覚的なものと、カバラ思想に基づく体系的なものの2系統があります。
1. 感覚的・印象的な前世発言
ライオン/猫だったという感覚(1984年)
「Like a Virgin」のPV撮影で本物のライオンと向き合った後、彼女はこう語っています。
「でも私はライオンにすごく共感できた。前世ではライオンか猫か何かだった気がする」
これは制作意図というより、実際にライオンと対峙した体験から出た個人的な感覚の吐露です。しし座である自分と重ね合わせた部分もあったでしょうが、当時はまだ「前世を本気で語る」段階ではなく、むしろカジュアルな表現に近いものでした。
日本人の女戦士だったという発言(2008年)
ガイ・リッチーとの離婚問題が進行していた時期に、テレビ出演でこう述べています。
「別の人生では日本人だったに違いない。かなり確信がある。女戦士だったと思う」
「説明できないけど、ただそう感じる。私は戦うのが得意だ。大きな剣を使った戦いが」
この発言は、離婚に伴う親権争いの最中だったこともあり、「戦う自分」を正当化・強調する文脈で語られた側面が強いとされています。具体的な根拠や回帰催眠の体験談などはなく、「なぜかそう感じる」という直感のレベルにとどまっています。
2. カバラを通じた体系的な転生観(1996年以降)
1990年代半ばから本格的に取り組んだカバラ(特にKabbalah Centreの教え)が、マドンナの転生観の本流です。
カバラ(特にセンターが教えるバージョン)では、魂は完全になるまで転生を繰り返す(gilgul)という考えがあり、今生で「修正(tikkun)」すべき課題を抱えている、という枠組みがあります。マドンナはこれを強く取り入れ、
- 自分のパターンを理解し、繰り返さないために転生を学ぶ
- 魂の目的は「光を顕現させること」
- 死んでもエネルギーは消えない(不滅性)
といった発言を繰り返しています。
2004年頃には、ヘブライ名として「エステル(Esther)」を採用。
これは公的に使う名前ではなく、「形而上学的な自分」を表すための名前だと説明しています。
母親の名前でもあった「マドンナ」という名から少し距離を置き、別のエネルギーに自分を結びつける意図があったとも語っています。
近年(2025年)のジェイ・シェティのポッドキャストでも、スピリチュアリティの重要性を強調し、カバラの「ゾハル」に関するマスタークラスにも関わっています。そこには転生を扱うモジュールも含まれています。
「私が誰だったか」を細かく特定するより、「なぜ自分はこう生きているのか」「何を修正すべきか」を考えるためのツールとして転生を捉えている、というのが現在の彼女のスタンスに近いようです。
興味深いのは、1980年代の「ライオンだった気がする」というカジュアルな発言から、1990年代以降のカバラを通じた体系的な理解へと、徐々に深まっていった点です。
マドンナの「前世説」は、具体的な有名人の転生を主張するタイプではなく動物的な本能との共感や戦士としての自分のイメージを、カバラ的な魂の旅という大きな枠組みの中に位置づけている
そして、2026年現在も、マドンナはデビュー当時と同じ、ワーナー・ミュージックの中で、自身のレーベル(Maverick)を作り
本拠地としてアーティスト生命を存分に輝かせている。ワーナーという大きな家の中で、 自分の王国を築いた類を見ないアーティストでもある。
たとえば、デュラン・デュラン:EMI → Warner → BMG、プリンス:Warner→ EMI → NPG(自主レーベル)、レディー・ガガ:Interscope(Universal)などある程度大物になるとワーナー離れするアーティストが目立つ様子を見ていると、この巨大なレコード会社の中で、自己ブランド=レーベル(Label)を確立するまでに行ったマドンナはやはりモンスターだ。
通常は自由を求めて、アーティストは移籍するが、自由と引き換えに、経済事情から活動が縮小されたり、周辺環境が変わって、かえってイメージや一貫性が保てなくなるケースは珍しくない。
マドンナは「自分のブランド」を守ることに終始標準を合わせブレずにコントロールしてきたのではなかろうか。
ワーナーは、マドンナをほぼ"文化資産"として扱ったとも伝えられている。マドンナにとって、彼女のレーベル(Maverick)はワーナーの重要な歴史そのものだと。
まさに、アーティスト界の王者。だけど、女性としての功績を心から称えたくなる、マドンナ。絶対女王マドンナ、万歳!
