
原作「チリンのすず」を開いてみてね!
全31ページの絵本です。サンリオ映画「チリンの鈴」とは異なるテーマ・コンセプトが見出せます。Amazonに飛びます
やなせたかし氏「チリンのすず」原作情報
- 出版社 : フレーベル館 (1978/1/1)
- 発売日 : 1978/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 31ページ
- ISBN-10 : 4577003279
- ISBN-13 : 978-4577003275
当サイトの「チリンのすず」考察
古代ギリシアの神話にみるパリサイド(父親殺し)と下剋上
クロノス、ゼウス、チリンという息子たち

ギリシア神話において二世代に渡った父親殺し
結果としてもたらされた平和と秩序
ヘシオドスの「神統記」によれば、まず原初のカオス(混沌)が誕生し、次にふところ広き大地母神ガイアが生まれ、彼女が、彼女と等身大の天空神ウラノスを生み出します。ガイアとウラノスはたがいに身体を大きく広げて包み込まれるように交わり、彼らは多くの子供を産み落としていきます。
がしかし、ウラノス は子どもを支配し虐待し、末息子のクロノスとの確執が・・・オリュンポス十二神の物語の幕を切って落とすことになるのでした。大神ウラノスは息子クロノスに、クロノスはまたその息子ゼウスにほろぼされ、ゼウスによってオリュンポスの長く平和な黄金時代が続いてゆきます。
ギリシア神話のそもそもの重要なテーマの一つ、父親殺しによって主神が果たしていく世代交代、そしてチリンの場合を見てまいりましょう。 (オイディプス・コンプレックスとはまた異なる切り口です)
大神ウラノスを倒したクロノスの場合
当初は妻であるガイアが、ウラノスを手にかけようとするが失敗。
彼女は子どもたちに協力を呼び掛けるのですが、皆恐れをなす中で、クロノスが私がと名乗り出ます。
「母よ、私はこの行為を引き受けます。なぜなら、私は悪名を持つ私たちの父を尊敬していないからです」
参考原典紹介サイト:Mythology Source | Modern Understanding of Ancient Mythology
そして彼らはウラノスをはめる計画を立てたのです。いつものようにウラノスがガイアと交わろうと彼女の隣に横たわったときに、隠れていたクロノスが大鎌を振り下ろし、自分の父の肢体を素早く切り落とし、去勢までも完了したのでした。
去勢:権力、支配性を奪い取る象徴行為
クロノスの肉片を海に投げ捨てたときに発生した海の泡から生まれた女神がアフロディーテ―美しいのやら悲惨なのやら―ギリシア神話の少々グロいいつものお決まりごと!
父の座に取って代わってギリシアを支配する勢いのクロノスでしたが、死の直前のウラノスの呪いのことば「お前もまた、自分の子によって支配権を奪われるだろう」という予言を恐れまくることにもなります。
恐怖から、クロノスは生まれてくる自分の子どもを次々に飲み込むという行為に至ります。子供をむさぼり食うクロノスを描いた作品も存在しますが、もはや怪物です。
ふと、やられる前にやるのではなく、「飲み込む」ところが肝ですね。
本来、私たちの生命は「宇宙から吐き出され、飲み込まれてゆく」だけのもの。
自分の分身ともいえる我が子を頭から飲み込むという行為には、例えばその者の自分の遺伝子に対する思いが根底にあるように筆者には感じられたりもする。そして神話における親子の相殺関係、カリバニズム、フェティシズムといった倒錯嗜好とは奥の深い深い、主題であろうかと。
大神クロノスを倒したゼウスの場合
ゼウスがクロノスを倒すまでには、なんと10年以上もの時間を費やしています。
まずウラノスを倒した後のクロノスは実質的な神々の王となり、姉もしくは妹のレアを妻とするのですが、先に述べた通りクロノスはことごとく生まれた子どもたちを口に入れて飲み込んでしまう。
かまどの神ヘスティア、農耕の神デメテル、月神ヘラ、海神ポセイドン、冥府のハーデースと、後のオリュンポス神族の神々が生まれては、クロノスの胃袋の中に詰め込まれていきました。
子らの母レアは激怒し、最後にゼウスをみごもったときに、遠いクレタ島に移り、そこでひそかに出産したのです。
※関連星座
かに座 月神およびヘラ
おとめ座 デメテル(修理中 ページが紛失!)
幼いゼウスは島でニンフたちに育てられ成人。ここでまたガイア登場。クロノスに吐剤を飲ませて胃の中のものを吐き出させると、すなわち、子神たちが世に現れるわけです。
いよいよゼウスたち兄妹とクロノス神族の闘いですが、この戦いが10年。ほぼほぼ、日本で言えば豊臣V.S.徳川の大阪の陣。
最終的には、ゼウスがクロノス神族を冥府のタルタロスに封じ込め勝利を決めたのでした。
その後は、父親殺しによる世代交代は発生せず。
たとえば、武力を撤廃した日本の徳川家康の治世に類似するところですが、 ゼウスは「うまくやった」のです。
兄弟たちと領域を平等に分け合い、力の均衡を保ち、神々の間に明確な役割分担を生じさせたことが大きいとされています。
神々の間の争いが減少し、息子アポロンたちからも尊敬を得るという手腕を振るったゼウス。彼自身の好色ぶりはまた別の機会に問題視するとして。多くの子をもうけ、一族としての勢力を拡大したと言われています。(この辺も徳川家康的)
あっぱれな治世でございました。
養父であり師であり仇(かたき)のウォ―を倒したチリンの場合
ネタばれを含みます
文字色ホワイトにしておきます
チリンのやり方は、クロノスの「だまし討ち」に酷似しています。心臓を一撃。いっかんの終わり。
しかし、なんとこの結末を歓迎したのがウォーだったのです。
「おまえにやられてよかった、おれはよろこんでいる」
ラスト、ただただ後悔するチリン 。先生であり、父であり、好きな人だったのに・・もうぼくはひつじには かえることができない。

「チリンのすず」では羊が狼に下剋上!すずの音がこの話の主人公だと考えてみました
ギリシア神話は、下剋上もことと次第による、やり方次第だということをストレートに物語るものでもありましょう。
涙の下剋上を果たした子羊につけられていた「すず」。落ちないようにとチリンにつけられたもの。
子羊は、無力なわたしたちみんなの象徴。私たち誰もの中にチリンがいる。心の中ですずの音が、チリン、チリンと時々小さく鳴るときには、その音にまず耳を傾けましょう。
とくにチリンのように、「正義ために」何かをしようとするならば。
幼い子どもは気づいているのです。「正義の味方のヒーローたち」が完全完璧な存在ではないことに。。正義をつらぬきながら、彼らが犠牲者を発生させていることに。建物は崩壊し、死者が出てはいないのだろうかと冷や冷やしている子もいるでしょう。


ヒーローもののみならず、善悪二元論的な古今東西の童話によくある、悪役が最後に死をもって「めでたしめでたし!」というのはどうなのだろう・・? 「制裁としての死」というのがそもそもいかがなものかと。。いや、幼い子どもだって何か感じるものがあろうかと。
その時その時の世界観のみで、その時々の都合で語られる「当たり前の幸せ」に、純粋な心は反応するものです。
で、でも、、みんな何も言わないで楽しんでるし。。
でもでも、かすかにチリンチリンと鳴る自分の心に耳を傾けて。
ひっかかるような、かすかな思いにこそ、深い意味があることがあるから。
きっとチリンも、「母さんの仇!」って心に言い聞かせて、ウォーが好きな気持ち、かき消してきたんじゃないだろうか。
何が正しいとか何が間違っているとか、自分は本当はどうしたいとか、それはやっぱり現実生活の中で打ち消さなきゃいけないこともあるのだけれども。
でも、いつかすごくとっても大事な大事な、それは避けて通れないと感じたみんながそろって大きな鈴の音を鳴らして、大事なことは大事なんだーーー!
大合唱できたら、報われるのかもしれない。
その時、ウォーもチリンも、その他大勢のヒツジたちも、大きなムーヴメントのひとつの足跡となる。
戦争に加害者も被害者もない。世の中は、ワル者といいモノとで単純に構成されているところではない。
誰もがワル者になるために、生まれてきたわけではないんだから・・
みんなただ必死に今を生きている、戦っている、生きているだけなんだから。
はい、ご拝読ありがとうございました☆
NHK大河ドラマ「べらぼう」の朝顔姉さん的に、思いっきり自由に、楽しく、考えさせていただきました!
正義なんてない!何でもカンタンに片付けることはできないよ・・生きるって難しい! 難しい生存競争の、世代交代の物語? クロノスが、ゼウスが、やらなければならなかった世代交代が果たされただけ・・・評価に値するやり方の問題か―謎なぞのような「チリンのすず」
最後にチリンへ
いやもう言わずにいられません、だいじょうぶだよ、チリン! 大きな大切なものを失ってしまったけれども、ウォーはあなたの成長を喜んでくれたではないですか。あなたはただ、最愛の母への思いを貫いただけ・・・誤解を恐れず言うならば、小さな子羊に、他にどんなやり方があったのでしょう。
きっとあなたは乗り越えて、新しい生き方をしてくれるはず。山を越える旅を終えて戻ってきて欲しいけれども、こんな悲しい現実社会ではない別のところで、あなたはあなたなりに生きていてくれるほうが嬉しいかもです。
ありがとう、チリン☆彡
そして、ありがとう、サンリオ映画製作スタッフ!あの映画なしには、ここまでたどり着けませんでした。
そしてそして、故やなせたかし先生、ありがとうございました。
ちなみに「手のひらを太陽に」・・先生の作詞だったのですね、、勝手ながら、子羊の涙の下剋上と親和性を感じておりますことをお許しくださいませ😊
アニメ『チリンの鈴』の世界はこちらから
このストーリーの暗さ、重さ、エンディングの救いのなさに、「見なければよかった」と打ちのめされた児童も多かったのではなかろうかと、私同様に。。学校の企画で体育館で上映され全校で観た記憶がありますが。
あれから数十年。この4月からNHKの朝ドラで、故やなせたかし先生ご夫妻が取り上げられており・・もう一度、この物語に向き合ってみようと、、いや何度もそうしたいと、ずっと思ってきたのですね実は。
今回、Youtubeの「英語吹き替え版のフルムービー」を字幕で視聴し、、どうもここに連れてこられるための、最近の色々なんだったのかもしれないなと思い至っております。ラストのナレーションに、サンリオの日本語版にはない「語り」が入っているんですね。