Episode06:子どもも大人も愛情飢餓症
「お、おじさん、誰よ? ここはどこ?!」
シビルにおじさん呼ばわりされた青年は、確かに学生というほどの若さはない...言われたことを気にするように壁に備え付けられたアールヌーボー調の大鏡をのぞきこみ、
「今日はめかしこんでるから...多少、年増に見えちまうんだろう」
つぶやきつつ蝶ネクタイを整えてから彼は言った。「あんた、イーストエンドのスラム街で倒れてたんだぜ? あのまま放置していたらどうなっていたことやら...あんな物騒な場所で」
クラリスのことばがきっかけで、ジャックの家があるはずの場所に向かってしまったシビルの記憶が戻ってきた。もうろうとする意識の中で、ただ自分自身を重荷にして、ひたすら足を引きずり続け―だけど一体、この天蓋つきのベッドは何? やわらかな羽毛につつまれながら、部屋中に並ぶマホガニーの家具や調度品・・・小さな部屋ではあるが、明らかに一般庶民の住むところではないだろう―ああ、バラ模様のティーセット! あたしってば喉が渇いて、お腹もすいているのだけれど一体この男の人は誰? ただ親切で助けてくれたというなら、自分は相当にラッキーな人間のようにも思えるけど...
夕方から家を出て歩き回ったあげくに倒れ、薄汚れた衣服やら髪やらのまままじまじと青年男性に見つめられてはシビルの乙女心もおだやかではない。
「あんたもしや家出? 死のうとか考えてたんじゃ?」
「......」
確かに、もうどうにでもなれと、いっそ死んでもかまわないと、自暴自棄になったシビル自身を後押ししていたのは、まぎれもない自殺念慮だったと言えるだろう。
あわや野垂れ死にという状況から自身が救い出されたことに、ふとシビルはこの青年に、神を見出したい気持ちにかられた。いやいや―見ず知らずの人を信用してはいけない...日ごろの父母のことばが彼女の脳裏をよぎり、次の瞬間には近づいてくる青年をことばで制していた。
「ベ、別に、どうでもいいでしょう、あなたに助けていただきたいと、お願いしたつもりもありませんので!」
「は?」青年はあからさまに機嫌を損ねる。「ごあいさつなこった。こっちだってお子様の相手をしているヒマはないんだ。ロリータ趣味もありませんので。うちの坊やに送らせるよ...家はどこ? 最寄りの駅は?」
「......ファリンドン」
「ふうん...知り合いが、ひとりいるかな。ま、坊やがそのうち戻るだろうから、少し待っといて」
お子様呼ばわりされたとは言え、ここでまたベッドに横たわろうなどできるものかと、シビルは羽ぶとんを両手でにぎりしめ、青年は机に向かうと、書類に目を通したり、タイプライターを動かしたりとさしずめビジネスマンのように振る舞いだす―ときおりタイピングの音を響かせながら、それでも青年は少しシビルを気にかけた。
「お茶はいかが?」
「結構です」
「強情だねーまあわからなくもないけどね、自分をしっかりもっているヤツほど、この世は生きにくい…親とぶつかったとかなんとか、そんなとこだろ?」
青年はデスクワークかたわら一方的にとつとつと話し出した。「俺も父親と母親が大キライだった...両親の殺害計画を立てていたくらいだからな。だから家も継がずに出た。あいつらとはもはやカンケーしない。自分は自分の人生を生きる」
「......」
「いいか、何があったにせよ、そのために死ぬなんて、バカバカしいことはやめろ。いや、誰もが生まれて死ぬ、それだけっちゃそれだけのバカバカしいもんなんだ......人生なんてな。だから、深く考えるな。生きている間は生きろ。親だろうと誰だろうと見返してやれ。そのために生きろ。あんたも早くに自立するこった。これからは女も男も関係ないって時代になっていく...いずれにせよ、強いものが勝つ」
突然、ノックの音と共に部屋の扉が開いた。
「ジャック?!」
「シビル・・・」
「へぇ、なんだ、知り合いなんだ?」
青年が2人を交互に見やって肩をすくめた。「ふうん、奇遇ってのがあるもんだね。ちょうどいいわ、このお嬢さんを家まで車でお送りして...1時間もあれば帰ってこられるだろう?」
「ぼくが...ひとりで?」
「できるだろう、運転はあれだけ教えてやったんだから」と言ってから青年はフフっといたずらな笑みを浮かべた。「ま、ヘンな気を起こすことはないだろうと信じているよ。1時間で戻ってくるんだぞ」
「......」
「ジャック、返事は?」
「......わかりました、ミスター・クロウリー」
そしてウェイトはパメラに作画を依頼する
時は1905年。11月下旬のロンドン郊外。街並みはくすんだ灰色に染まり、所々枯葉が色を差してはすっかり冬支度ずみといったいで立ちで、その日は朝から小雨が降り続けていた。
安アパートの外階段をカンカンと人が上がってくる音がしたかと思うと呼び鈴が鳴るのだが、奥の部屋にいるルームメイトがわざわざでてくることもなかろうと、しぶしぶパメラは絵筆を止め立ち上がった。玄関の扉を開けると、現れたのは黒いマントを身にまとったウェイトだった。
「ごきげんよう」
「あ、あなたは・・・どうしてここが?」
「会員名簿の住所を拝見した・・・すまない、わるいとは思ったのだが」
ことばとは裏腹に、そこはもう度外視して下さいとばかりにウェイトは山高帽を取って素早く続ける。
「ぜひ、あなたに、タロットの作画を担当してほしいのだが」
若干雨が吹き込む玄関先だろうがお構いなしだ。
「何とか考えてもらえないだろうか?」
「えっと、それはですから、先日お断りしました・・・申し上げた通りで、私にはムリです・・・ごめんなさい」
「いや、あなたしかいない、あなたでなければ、できないことなんですよ」意外なことばに、パメラは目を見開いて、まばたきしながらウェイトを正面から見つめる。
「えと、ちょっと待って下さい。それはそれの、ありがたいというか、光栄なお話・・・だとは思うのですが、その、繰り返しになりますが・・・」話を断るにしてもとりあえず中へと、いつものパメラなら人のよさを発揮するところだったが、ここで気を許してはいけないような気がして、ウェイトを玄関の外へ押し出すようにいったん扉を大きく開けて、半ば大声を上げる。
「ごめんなさい! いいですか? 無理なものは無理、なんです。わたしにはタロットの知識も情報もありません。きっと、もっと、適任の方がいますわ。だからホント、ごめんなさい!」アパートメントの隣の部屋のドアが開くと、隣人が顔をのぞかせて何ごとかという表情だ。パメラはわかって下さいというようにウェイトに目くばせして、小刻みにうなずいて見せる。
ふと気がつけば、2人の視界に白いかすみがちらついており、雨は雪に変わったようだ。
ドアノブがやけに冷たいわけだと、パメラはかじかみそうな手に思わず息をかけて温める。セーターの左右のそでをグッと伸ばして手の甲まで覆うだけでもう顔を上げようとはしない彼女を見て、ウェイトは今日のところは引き下がろうと決めた。
「そうですね、いきなり失礼をしてしまった。こちらこそ申し訳ない。また、来ます」
会釈をしてまた素早く帽子をかぶるとコートをひるがえして歩き出すウェイト。「ちょ、パメラ!」 部屋の奥からルームメイトのルビィが駆け出してきて、パメラにほぼ体当たりでぶつかる。
「あのおじさん、会のお偉いさんでしょ? せめて下までお送りしなさいよ」
「え、わたしが?」
「門前払いとは少々失礼よ、早く!」
言われてパメラは慌ててウェイトを追った。「あのウェイトさん、ウェイト博士! ちょっと待って、下までお送りします・・・」
階段を降りかかっていたウェイトが振り向いたときには、雨と雪で滑りやすくなっていた階段の最上部でパメラは見事に転倒していた。
「危ない!」
ウェイトがかろうじてパメラの片腕に追いついたが彼女に引きずられる形になり、2人はそろって階段を滑り落ちていった。